鳥居強右衛門とは?かっこいい名もなきサムライだった!旗や磔図についても

記事内に広告が含まれています
スポンサーリンク

名もなきヒーロー、戦国版「走れメロス」

大河ドラマどうする家康で
岡崎体育さんが演じる
鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)を
取り上げます。

  • 鳥居強右衛門とはどんな人なのか?
  • かっこいい名もなき
    サムライだったエピソード
  • 旗や磔図について

お届けしますね!

鳥居強右衛門(とりいすねえもん)とは?

鳥居強右衛門は知る人ぞ知る人物。

誰⁉

という方も多いかと思います。

鳥居強右衛門が
歴史の表舞台に登場するのは、

天正3年(1575年)の長篠の戦いの時だけ。

それまでの人生についてはほとんど
知られていません。

主君は奥平貞昌(のちの信昌)

奥平家に仕える足軽でした。

奥平家
今川→織田→松平(徳川)と所属先を転々とした国衆。
甲斐武田の侵攻を受けた後は
武田家の傘下に従属していました。
武田信玄が1573年4月に亡くなると、
再び松平(徳川)に寝返り、
信玄の跡を継いだ武田勝頼の怒りを買うことになります。

徳川家康・織田信長の連合軍と、

武田勝頼が率いる武田軍が激突した
長篠の戦いの直前に、

徳川家康の窮地を救ったのが
鳥居強右衛門。

キーマンであったといっても
過言ではありません。

鳥居強右衛門はかっこいい名もなきサムライだった!

鳥居強右衛門は

忠義を尽くした
名もなきヒーロー、

かっこいいサムライでした。

そのエピソードをご紹介します。

武田軍が長篠城を囲んだのは、
天正3年5月1日。
勝頼が率いる1万5,000の武田軍に
包囲されました。

長篠城を守るのは、奥平信昌。

徳川家康から託され、
約500の城兵で守備していました。

5月8日開戦。

11、12、13日にも攻撃を受けながらも、
長篠城は何とか防衛を続けていました。

しかし、13日に武田軍から
放たれた火矢によって、
城の北側にあった兵糧庫を焼失。

食糧を失った長篠城は
長期籠城の構えから一転、
このままではあと数日で落城という
絶体絶命のピンチ。

長篠城はこのままでは落城してしまいます。

貞昌は家康のいる岡崎城へ使者を送り、
援軍を要請しようと決断しました。

武田の大軍に取り囲まれている状況の中
城を抜け出して岡崎城まで赴き、
援軍を要請することは不可能に近い。

この命がけの困難な役目を
自ら志願したのが鳥居強右衛門でした。

鳥居強右衛門は、長篠城を脱け出し
家康のもとへ走ります。

まるで走れメロスのように。

そして、「長篠城がヤバい」と
訴えることに成功。

家康も単独での加勢は困難と見て、

信長に援軍を要請しました。

この部分は「どうする家康」では
少し違う内容になっていました。

そして『三河物語』によると、
家康が鳥居強右衛門に

「信長様はもう出陣してくれたのか見てきてくれ」と密かに命じたとのこと。

強右衛門は池鯉鮒(知立市)に陣を置いていた
信長のもとに向かいます。

またまた走れメロスのように。

あっちにこっちに走り回る・・

かなりハードですよね。

当時の人たちはほんとスゴいと思います。

強右衛門が家康のもとから来たと知ると、
信長は喜び「ただちに援軍を出す」と言います。

強右衛門は、信長の言葉を胸に、
竹束を背負い長篠城に走り入ろうとします。

またまた走れメロスのように。

しかし、ここで
武田方に捕らえられてしまいます。

鳥居強右衛門は、武田勝頼

私の言うとおりにすれば、
お前の命は助ける。

甲斐国にも連れて行き、
十分な知行地も与える。

まず、お前を磔(はりつけ)にして、
長篠城の者に見せるから、

そのときにお前は

『信長は出陣していない。
城を開け渡せ』
城内の者に叫べば、
お前を木柱から降ろそう

と言われました。

これは好待遇ですね。

 

すると、鳥居強右衛門は

ありがとうございます。

命をお助けくださるなら、
何でも致しましょう。

そればかりか、
知行地まで頂けるとのこと、

これほどありがたきことが
ございましょうか。

早く、長篠城の近くに
磔にしてください。

と感激してそう言います。

 

勝頼としては、強右衛門を使って

援軍は来ない。だからこれ以上、
城を守ることは無意味。開城せよ

と言わせて、長篠城内の戦意を挫き、
開城させようとしたんですね。

勝頼からすれば

よし、これで長篠城が手に入る。
織田や徳川に勝ったな。

といった感じですかね。

 

いよいよ作戦実行のとき。

鳥居強右衛門は木柱に
括り付けられこう叫びます。

城の中の人々、出てきて、

お聞きください。

この鳥居強右衛門、

城にひそかに戻ろうとして
捕まり、このざまだ

そしてなんと、強右衛門は
勝頼に言ったこととは真逆のことを

城内の者に伝えます。

「信長は出陣していないと言え」

「命は助けて知行地をくれる」と
武田に言われたが、

信長様はもう岡崎まで出陣している。

嫡子・信忠様も出陣。

先鋒は一の宮、本野が原にいて大軍。

家康様、信康様は野田に移り、
城を固めている。

よって、3日のうちに運は開けよう。

そのように、信昌殿に伝えてくれ

と言い放ちました。

 

鳥居強右衛門はすぐさま、
武田方によって討たれてしまいました。

勝頼からすれば

おいおい、なんてことしてくれるんだ!
せっかくのいいアイデアが台無しだ

長篠城内の戦意を挫き、
開城させようとした作戦は、
強右衛門の「裏切り」によって
失敗に終わりました。

 

足軽でありながら
忠義を尽くした鳥居強右衛門。

忠義を尽くした
名もなきヒーロー、

かっこいいサムライでした。

勇気ある行動にとても心打たれました。

走れ、走れ、すねえもん・・・

 

鳥居強右衛門が磔にされた場所には
鳥居駅が建っています。(愛知県新城市)

鳥居強右衛門の旗や磔図について


出典元:https://www.photo-ac.com/

鳥居強右衛門は旗指物に描かれました。

旗指物(はたさしもの)とは
戦場で用いられた軍旗や飾り物のこと

強右衛門の機転と死によって、

長篠城の将兵の士気は大いに上がりました。

鳥居強右衛門は
旗指物に磔図が描かれる
ことになります。

それが「落合左平次道次背旗」

その旗指物には

磔になった褌(ふんどし)一丁の
凄まじい形相の男(強右衛門)が描かれていて、
鮮烈な印象を残します。

 

落合左平次は武田の家臣。

鳥居強右衛門が処刑されるまでの
わずかな時間に鳥居強右衛門に接し、
その忠義心に感動。

磔にされている強右衛門の姿を絵に残し
戦の時に、背中にこの旗指物を
括りつけて戦ったと言われています。

敵でありながら、
その姿に心打たれたんですね。

まとめ

名もなきヒーロー、戦国版「走れメロス」

大河ドラマどうする家康で
岡崎体育さんが演じる
鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)の

  • 鳥居強右衛門とはどんな人なのか?
  • かっこいい名もなきサムライだったエピソード
  • 旗や磔図について

ご紹介しました。

その忠義心に感動しました。
みなさんはいかがでしたか?

今日も最後までご覧いただき
ありがとうございました。

 

スポンサーリンク
エンタメ
シェアする
まさきをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました