「どうする家康」で話題になっている大貫勇輔さん演じる浅井長政。「めっちゃイイ人!」「人格者」「器が大きい」と好感度が爆上がりしています。そこで今回は、浅井長政はイケメンなのか、浅井長政は織田信長と仲が良かったのか、なぜ織田信長を裏切ったのかをご紹介します。
浅井長政はイケメン!?
画像はイメージです。
出典元:https://www.photo-ac.com/
【どうする家康】で浅井長政を演じた
大貫勇輔さん。
イケメンでかっこよかったですね。
【どうする家康13話】では京都で浅井長政の家臣と家康の家臣との間でケンカが勃発。
浅井長政の家臣が大けがをしたことで大問題に発展しそうなところ
その優しさ、
また、妻のお市の方は戦国一絶世の美女といわれ、浅井長政とお市の方の夫婦は、美男美女の組み合わせとしても有名ですが、【どうする家康】でも北川景子さんが演じていて、まさに美男美女の組み合わせです。
物語やアニメ、ゲームの中でも温厚で家族を大切にするイケメンと言われた
実際の浅井長政の肖像画を見ると
ん??
・・・
・・・
みなさんはどのように感じましたか?
やはり実際の写真でないと
はっきりとしたことが言えません。
当時は色白でポッチャリした穏やかさがイケメンの基準だったようで、
当時の価値観の武将の「男前」と
現代の価値観の「イケメン」とは全く違いますよね。
当時の基準に当てはめて、
改めて肖像画を見ると・・・
確かにイケメンです!
浅井長政は人間的にもイケメンだったように思います。
浅井長政は織田信長と仲良しだった!?
信長が岐阜から京都に抜けるためには、浅井長政の領地を通らなければな
信長が浅井長政の武将としての器量を認め、
結婚に際して、信長の一字をとって長政と改名。
長政がもし裏切ることがなければ信長は死ぬまで長政を弟として信
同盟結んでから裏切られるまで、信長は長政の性格を愛し、
長政も家臣に「信長を刺せ」言われたときに
「できるか~い」
笑い飛ばしたといいます。
だから仲良しは
仲良しだった。
裏切られたときも信長はしばらく信じられない様子だったそうで、
「まじか~」とかなり
落ち込んだのではないでしょうか。
時代はなんといっても戦国の世。
親子であっても、兄弟であっても争わなければ生きていけない時代。
現代でさえも様々なしがらみや社交辞令など・・・
大人の事情がから
やはり時代背景や複雑な大人の事情がからんでいそうですよね。
信長は長政に信頼をおいていましたが
長政はどうだったのでしょうか?
信長のことをどう思っていたのでしょうか?・・・
浅井長政はなぜ信長を裏切ったの?
【どうする家康13話】で織田信長は越前の朝倉攻めを宣言しました。
義兄を討つ⁉
織田信長は、何度も裏切りにあった武将です。
ざっと挙げると、浅井長政のほかにも
・織田信勝(弟)
・荒木村重
・松永久秀
謀反を起こされては立ち上がり、
最終的には明智光秀による超有名な裏切り【本能寺の変】。
順位はつけられないものの、数ある裏切りの中でも信長の衝撃度No.1は浅井長政ではないでしょうか。
大切な妹のお市を嫁入りさせ、実の兄弟同様に信頼していた浅井長政の裏切りですから。
義兄弟の契りを交わした長政に一体何があったのでしょうか?
なぜ信長を裏切ったのでしょうか?
その理由は様々な説があります。
何の相談もなく朝倉攻めを決行したから
織田信長は上洛を果たした後、畿内周辺の諸勢力を攻め滅ぼしたり従わせたりしていきます。そして越前の朝倉義景に上洛して将軍になった足利義昭に従うようにと要求しました。
室町幕府15代将軍の足利義昭を利用して、信長が将軍の名目で各地の大名に上洛の命を出したのですが、信長と仲の悪かった朝倉義景はこの命を完全無視。
「従わないなら、やっちゃうよW」
これに応じなかったので信長は朝倉攻めを決行します。
長政には何の相談もなく朝倉攻めをしたことに腹を立て裏切ったとする見解です。
ただ、「何の相談もなく朝倉攻め、絶対許せない!」という感情のみで、織田信長を裏切るのはあり得ない気はしますが・・・
朝倉家と浅井家は同盟をむすんでいた
朝倉家と浅井家は同盟を結んでいました。
お市との結婚の条件に『朝倉との不戦の約定』があり、それを織田信長が破ったから裏切ったとするものです。
「朝倉とは戦わない約束のもとで結婚したのに・・・おいおい、朝倉攻めるなよ」
織田信長の政権構想についていくことができなくなったから
織田信長はとても斬新な考え方を持っていて、今までのやり方を破壊していきました。
昔ながらの国人衆による地域連合という体制をすでに打ち壊し、所領を与えることによって家臣をまとめるという仕組みを確立しつつありました。
浅井家は国人衆との関係性をうまく構築することで統治していました。あくまでも北近江の統治者でありたい浅井家と、天下布武を掲げて国盗りを行っていた織田信長に付いていくことができなくなってしまったから裏切ったとする見解です。
「義兄さんのやり方にはもうついていかれないよ~」
家臣と隠居した父の浅井久政を抑えられなかったから
隠居していた浅井長政の父・久政は、かなりの発言権と権力があり、反織田派の筆頭でした。
浅井家は元々、独立色が強く自分たちの領地を守りたいという考え方が圧倒的に強かった国人衆集団。それを脅かす織田信長をチャンスがあれば討ちたいと考えていた可能性は高い。
浅井氏の家臣たちは、隠居していた久政を担ぎ出し、長政に信長を攻撃するようにと迫ります。
浅井長政はかなり知性的な人間だったようですが、この時の長政はまだ25才。若さゆえの統率力の弱さが出たのかもしれませんね。
実際のところ、浅井長政さんの口から直接その真意を聞けるわけではないので、本当のところはわかりませんが、裏切りが失敗に終わればお家断絶、お国倒産など、不幸が自分だけに降りかかるだけではありませんので、簡単な理由で大きなことを決断することはできませんよね。
そこには様々で複雑な理由が隠されているのではないでしょうか。
最後に
今回は「どうする家康」で話題になっている浅井長政について、浅井長政はイケメンなのか、浅井長政は織田信長と仲が良かったのか、なぜ織田信長を裏切ったのかをご紹介しました。
やっぱり浅井長政さんはイケてますね!
最後までご覧いただきありがとうございました。
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