黒柳徹子は何をした人で何がすごいの?収入(年収)と高額納税もすごい⁉

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「徹子の部屋」で有名な黒柳徹子さん。

映画「窓際のトットちゃん」も今話題になっていますね。

「徹子の部屋」や「世界ふしぎ発見」で見たことがあっても、黒柳徹子さんが、何をした人で何がすごいのか、知らない若い世代の方も多いのではないでしょうか。

そこで今回はそんな皆さんに向けて記事にしました。

この記事では、黒柳徹子さんは

  • 何をした人で何がすごいのか
  • 収入と高額納税について

まとめました。

黒柳徹子さんは何をした人で何がすごいの?


引用元:https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/history/

では早速、黒柳徹子さんが何をした人で何がすごいのか
経歴やプロフィールとあわせて見ていきましょう。

黒柳徹子さんは、
1993年8月9日生まれの90歳。

生まれは東京府東京市赤坂区乃木坂。

乃木坂46ならぬ乃木坂90。

・・うん?

Instagramはフォロワー110万人超え。

女優・タレント・テレビ司会者・エッセイストです。

日本史上初のテレビ女優

NHKのテレビ放送の開始は
1953年2月1日。

テレビ放送の開始を翌月に控えた

1953年1月に
NHK放送劇団の一員
となり、

テレビ女優の第一号としてデビュー。

1954年にNHKラジオ第1で放送の
ドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」で初主演。

→三男・トン坊役を演じて一躍有名に

 

テレビ女優第1号でギネスに
登録されました。

 

たまたま新聞で見かけた
NHK放送劇団の俳優募集の広告に応募。

履歴書を持参すべきところを郵送してNHKから注意され、筆記試験の会場を間違えて遅刻し、問題が分からず答案用紙の裏まで長所を書き連ねた上、消しゴムで答案用紙を汚損^^;

それでも約6,000人の応募者の中から第6次までの審査を経て13人の劇団員の1人として選ばれたというからすごいですね!

 

以降も、人形劇『チロリン村とくるみの木』などに出演し、さまざまなキャラクターの声を演じたり、子ども番組に加えてテレビドラマ『若い季節』『夢であいましょう』などの人気番組にも出演。

週6、7本のレギュラー出演で多忙を極め、さらに20代後半にはテレビとラジオのレギュラーが週に10本を数え、平均睡眠時間3時間という過酷な日が続き、過労からダウン。すべてのレギュラー番組を降板して1か月の入院を余儀なくされたそうです。

売れっ子はつらいところですね。

寝る時間がないということは
それだけ売れていることの証。

かといって寝る時間も欲しい。

健康な身体あってこそ
活躍できますからね。

通算6回『NHK紅白歌合戦』の司会

黒柳徹子さんは「NHKの紅白歌合戦」の司会を通算6回もされていました!

1958年に自身初『NHK紅白歌合戦』の紅組司会。

1980年~1983年『第31回~第34回NHK紅白歌合戦』まで4年連続で紅組司会。

2015年『第66回NHK紅白歌合戦』では、総合司会として紅白の司会。

通算6回ってすごいですよね!

通算6回はNHKアナウンサー以外の女性で最多記録です。

黒柳徹子さんの冠番組「徹子の部屋」

1976年テレビ朝日で
『徹子の部屋』がスタート。

2024年で48年の超長寿番組となりました。

間もなく50年にもなるなんて
すごいしビックリ!

この番組は月~金曜の毎日放送。
90歳にして毎日出演する
黒柳徹子さんも本当にすごい!

「徹子の部屋」は、

「主婦の選んだテレビパーソナリティーNO.1」に1976年~1989年まで14年連続で選出されました。

「同一の司会者による番組の最多放送回数記録」としてギネス世界記録にも認定。

その他にも「橋田賞」「第23回放送文化基金賞」、

2006年には「黒柳徹子さん」と『徹子の部屋』が第54回菊池寛賞を受賞。

30年間休むことなく良質な対談番組を
送り続けている努力が受賞の理由のようです。

「徹子の部屋」は実にたくさんの賞を
受賞したすごい番組でした。

様々な俳優、文化人の才能を
引き出すトーク、

お笑い芸人がゲストの時には、ネタを見たときに「面白い!」と喜んで
いつまでもネタの披露をやめさせない。

ゲストがトークに入る前に
「今日は何か面白いネタを披露して下さるんですって?」とわざとトークの
ハードルを引き上げるなど

こういった黒柳徹子さんの才能やテクニック、人柄やキャラがこれだけたくさんの賞を受賞し、番組がこれだけ長く続き、愛されたのではないでしょうか。

ザ・ベストテンの司会

1978年に放送を開始した、
TBSテレビの音楽番組
『ザ・ベストテン』

当時、大人気となった音楽番組。

最高視聴率41.9%を記録する大ヒットとなりました。

黒柳徹子さんは1989年の最終回まで司会を務めました。

黒柳徹子さんと久米宏さんの絶妙な司会もとても良かった!

ちなみに、初期からコンビを組んでいた
久米宏さんは1985年で降板しました。

ちなみにこの番組の再放送は、
CS有料放送のTBSチャンネル2で
視聴できますよ。

著書「窓際のトットちゃん」

自身の子ども時代を描き、ベストセラーとなった自伝小説「窓ぎわのトットちゃん」。

トットちゃんがユニークな教育のトモエ学園で、友達とのびのび成長していく自伝的物語です。

1981年に刊行、国内で800万部、全世界で2,500万部発行されました。

時代も国境も超えたロングセラーとして、今もなお世代を超えて愛され続けています。

黒柳徹子さんは1981年にこの本の印税全額を寄付し「社会福祉法人トット基金」を設立しています。

印税全額を寄付って、やっぱり「黒柳徹子」はすごい!

 

2023年10月3日には42年ぶりとなる続編が発売。

12月8日からは映画「窓ぎわのトットちゃん」が公開となり話題になっていますね。

主題歌として、あいみょんが新曲「あのね」を書き下ろしました。

昨年の「NHK紅白歌合戦」に出演した際に「よろしくお願いしますね」と
黒柳徹子さんが声をかけたそうで、

あいみょんは「生きてきた時代の記録や記憶は違えど、今 同じ時代を生きてることが喜びですし私を選んで下さった徹子さんに感謝でいっぱいです」とコメントしていました。

ユニセフ親善大使

黒柳徹子さんは、1984年からユニセフ(国際連合児童基金)親善大使として、現在でも活躍しています。

徹子さんがユニセフ親善大使としてアジアから初めて選出された理由は「子どもへの愛と、障害を持つ人々や環境への広範囲な活動実績」とのこと。

2000年10月、ユニセフから最初の受賞者として「ユニセフ子どものためのリーダシップ賞」を贈られ、黒柳徹子さんの功績が称えられました。

2003年5月12日、黒柳徹子さんは長きにわたるユニセフ親善大使としての功績を称えられ、日本政府から「瑞宝中綬章」を授与されました。

親善大使も40年。

やっぱり「黒柳徹子」は
すごいの一言です。

日本パンダ保護協会の名誉会長

子供の頃、叔父がアメリカからのおみやげにパンダのぬいぐるみを持って帰ってきたことをきっかけに始めたパンダの研究は70年以上。

日本パンダ保護協会名誉会長を務めています。

パンダの研究⁉って思ったでしょ♪

パンダもかわちいけど
黒柳徹子さんもかわちい。

 

パンダ研究も長きに渡っている・・・

黒柳徹子さんは何もかも長いこと
継続されていてすごいですよね。

黒柳徹子さんは収入(年収)と高額納税もすごい⁉

調査していくと

年収が10億を超えるのでは⁉

印税だけで億を超えている⁉

という情報がありました。

黒柳徹子さん、なんだか収入(年収)がすごそうですよね。

 

現在の収入元は、

テレビのギャラ・CM・YouTube・トットちゃんの印税・・・

 

YouTubeもInstagramもやっちゃう90歳。

 

1981年から1985年までの5年間と1987年には、

高額納税者番付の
「俳優・タレント部門」
で、

森繁久彌さん、大橋巨泉さん、石原裕次郎さん、三船敏郎さん、三田佳子さんら

当時を代表するすごいタレントさんたちを抑えて1位となりました

 

1位って・・・
なんだかすごそうな納税額。

かなりの高額納税をしていた
黒柳徹子さん。

収入(年収)もハンパなくすごいことがわかりますね!

 

1985年には、政府の税制調査会に参考人として招かれました。

タレントとしてはとても珍しいことだったそうで

黒柳徹子さんは

現在の私の収入の90%が税金。

1時間の番組の何分か話したらあとは全部税金。

原稿用紙400字詰めの2行書いたら、あとの18行は全部税金。

勤労意欲を失うことが無きにしもあらず。最高税率を10%下げて欲しい。

と発言。怒り爆発!

すると2年後には、最高税率が
60%まで下げられたそうで、

もしかすると、このときの怒り爆発の発言が影響したのかも?しれません。

 

すごくてかわちい90歳の黒柳徹子さんでした。

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